6.

トニーが私に近づいてくるにつれて、

かすかに花の香りが流れてきた。

 

ああ、そうか。花が咲く時期だった。

 

「今ちょうどこのあたりで、ブルーボンネットが咲いている。見てきたか?」

 

トニーは私の顔を見るなり、言った。

ぶっきらぼうな言い方。

まったく変わらないわね。

 

「見たわ」ふんと鼻を鳴らして答えると、

「そうか」とトニーはつぶやきながら、

牧場を見た。

 

横を向いたトニーの顔には、

毎日笑っていたばかりのあの頃にはなかった深い線が

刻まれていて、私ははっとした。

 

トニーの両親がなくなったのを知ったのは、

わたしがこの町を離れてからのことだった。

 

高校時代の友人・ケリーから

たまたまfacebookのメッセンジャーから連絡があり、

トニーの両親が不慮の事故でなくなった、と聞いた。

 

わたしが知ったときは、

すでに葬式が終わってしばらくたってから。

 

だからわたしからトニーに対して何も

お悔やみの言葉をかけるタイミングがなかった。

 

いきなりトニーにあって

再会直後に「残念だわ」というのも

なんだかおかしい。

 

だから私は黙っていることにした。

 

「ブルーボンネットは、テキサスにシンボルではあるが、この牧場のシンボルみたいなもんだ」

そんな私の心の動きを察したのだろうか。

 

「高校のときは、ブルーボンネットを見にいったのを思い出すわね」

唐突に私は、ブルーボンネットを見に、

トニーの家族と一緒に見に行ったのを思い出した。

 

そして私は気づいた。

もう、あの頃には戻れないのだ、と。

そしてもうあの頃の私とトニーじゃないのだ、と。


7.

「なぜ、戻ってきた?」

 

トニーの唐突な問いに、一瞬言葉を詰まらせた。

 

もう何十回も練習してきたじゃない。

 

これを聞かれたらこう答えるって。

 

「休暇に戻ってきただけよ」と。

 

けれどわたしの答えに、

トニーは納得しない表情で私を見た。

 

トニーの視線に、少し罪悪感を感じた。

 

トニーが納得しなくても、別にかまわないのに。

 

「戻ってくる理由はそれぞれでしょ」

 

思わず私はムキになって答えていた。

 

「あんなに勢いよく出て行ったことを、思い出すよ」

 

トニーはふふんと鼻で笑う。

 

その笑いに私は少しムッとした。

 

笑われるために戻ってきたわけじゃない。

 

「少ししたら行くわよ。・・・だって休暇だから」

 

かまわないさ、というように肩をすくめたトニー。

 

「でも本当は休暇ではないんだろう、ジャネット」

 

トニーは急に声色を変えると、私に近寄った。

 

思わず私は体をそらしてし、反射的に顔を背けた。


8.

「本当は、俺にあいたかったのだろう、ジャネット」

 

トニーの急な態度の変化に、私は動揺を隠せなくて、

だから思わず顔を背けた。

 

トニーの顔がとても近くにあるから、

私は顔を反射的にそらしてしまった。

 

それでも顔をまっすぐすると

トニーを真正面に見ることになる。

 

わたしはトニーの顔を真正面に見る勇気がなかった。

 

「なぜ、そういう風に思っているわけなの?私、休暇で戻ったって言ったじゃ・・」

 

「君がここに戻ってくる前の日に、

ケリーから電話があったんだよ。ジャネットが戻ってくるってね」

 

なんてこと、ケリー。トニーに連絡していたなんて。

 

「でもケリーには悪く思わないでほしい。

俺がケリーに君が戻ってくることを知らせるように、頼んでおいたのだから」

 

「なんですって!?」

 

私は叫んでしまい、思わず正面を向いた。

 

すると私はすぐさま後悔した。

 

なぜならトニーの顔が直ぐ近くにあったのだから。

 

吐息が私の顔にかかるくらいに。

 

「君は僕から逃げるために、この町を出て行った。そうだろう?」

 

トニーは私をまっすぐに見て言った。

 

なんてこと、ケリー。そこまでトニーに話したなんて。

 

「おっと、これはケリーが僕に話したわけではないよ。」

 

おもったことが顔に出るらしい。

 

トニーには何でもお見通しのようだ。

 

「僕は君の口から聞かせてほしいんだ。この町を出ていた本当の理由を」

 

もう逃れられない。

わたしは思わず目を閉じた。 


9.

わたしはけしてトニーが嫌いになったわけではなかった。

むしろ大好きだった。とても。心から。

 

1つ年上のトニーは、私の家の近所に住んでいた。

 

小さい頃からいつも一緒で、

どこに行くにも行動をともにしていた。

 

小さいころに私にとって、

トニーは兄であり、友だちであり、そして恋人だった。

 

そう、マリアンヌが現れるまでは。

 

子供心の想いが、

やがて友情から好きに発展することは、

簡単だった。

 

わたしは勝手にトニーを好きでいて、

勝手に自分だけの兄であり恋人だと思っていた。

 

でもそれが間違いだと知ったのは、

学校一の美女・マリアンヌがトニーとキスをするのを見たとき。

 

私の恋は終わった。

と知った。

 

それから私は恋愛を封印することにした。

 

それが高校2年のときで、3年になるときに、

この町を出て、新しい人生をはじめることを決めた。

 

幸いわたしの親は、

町以外の大学に行くことに賛成してくれたので、

 

あとは学費との相談だけだった。

 

私の失恋を知っているのは、ケリーと私のみ。

 

誰も知るはずがなかった。

 

だから、私は町のみんなに黙って、町を出ることにした。

 

失恋というものが、なかったことにしたくて。

 


10.

ところが、カリフォルニアの大学に行き卒業するころ。

 

季節はずれの竜巻がこの町を襲い、

不幸にも私の両親の家が巻き込まれ、すべてを失った。

 

大学時代に仲良くなった不動産の友人のおかげで、

カリフォルニア郊外に、

格安で住める家を見つけることができた。

 

わたしの親にそれを話すと最初は渋ったが、

すべてを失った今、

どこにいってもすべてやり直しだ、

という風に言ってくれたのはよかった。

 

両親は住み慣れた町を出て、

カリフォルニアに越してきた。

 

両親がいない今、

わたしがこの町にやってきたのは、

休暇でもあるが、

もう一度自分が住みなれた町を見たくて、

やってきたのだった。両親にはいわずに。

 

ケリーから連絡がなければ、

きっと二度と戻ろうとは思わなかっただろう。

 

恋も家も失ったこの町に、

私が幸せになれるかけらはみじんもないのだから。

 

けれども最後にひとめ見たくて、

戻ってきた私はまだ未練があるのかもしれない。

 

この町にも、家にも、トニーにも。

 

わたしは確かめたかったのかもしれない。

トニーの本心を。

 


11.

「もう一度きく。何故今戻ってきたんだ、ジャネット?」

 

落ち着いた声でトニーは言った。

 

もうこれ以上。

 

わたしはあがらえないのかもしれない。

 

「休暇といったはずよ。」

 

「それだけではないはずだ」

 

「・・・」

 

わたしは、勇気を持って顔を背けた。

 

「ジャネット」

 

トニーの声は変わらず近くに聞こえる。

 

そんなに近くによらなくても、よく聞こえるのに。

 

「君が町を出てから、3年がたつ。あの日からここはいろいろと変わった」

 

トニーは話し始めた。

 

「竜巻で家を失った人もいれば、助かった人もいる。幸い、僕にはこの牧場が残った」

 

「だから僕はここにずっといた。君は町を出てしまったけれども」

 

私は思わずうなだれた。わたしの家はなくなってしまったからだ。

 

崩れ去った家を、

あの光景を見なかっただけでもましだったかもしれない。

 

わたしの両親はけして、

そのときのことを語ろうとはしなかったから。

 

「君は戻らなくてもいいはずだ。なぜなら、君のご両親ともに町を出たからね」

 

私は思わずうなずいていた。

 

「だから君が戻ると聞いたとき、驚いた。何故戻ってくることにしたのか」

 

私は次の言葉が何か、わかるような気がした。

 

「正直にいうよ。僕は君が町を出た理由がわかっていなかった。」

 

トニーの声を聞いたとき、思わずぐらりとした。

地面がぽっかり穴が開いて、

そこに落ちていきたい気分だった。

 

「だけど、ケリーに聞いたとき、気づかされたよ。

僕はとんでもない間違いを犯したことに」

 

え?どういうこと?

私は思わずトニーの顔を見た。

 

ケリーが何を話したのかさっぱりわからない。

 

でも、友だち思いのケリーがトニーに言いそうなことは、

もうここでわかったような気がしてきた。

 

「あの頃、僕はマリアンヌと付き合っていた。」

 

聞きたくないあのときのことを、

トニーは思い出せてくれる。

もういいのに。

 

「君の気持に気づいていながらも」

トニーが気づいていたことに、私は恥ずかしくなった。

もう終わった恋のはずだった。


12.

トニー、私をこれ以上苦しめないで。

 

何かを言いたいのに、言葉に出せないこのもどかしさ。

 

トニーは、きっと誤解をするだろう。

 

私が何もいえないでいることを。

 

それだけは避けたかった。

 

これ以上、失うわけにはいかなくて。

 

「トニー・・・」

 

口に出た言葉はこれだけだった。

 

「マリアンヌとは、もう別れたんだ」

 

「君がこの町を去ってからすぐに」

 

トニーは私に肩をすりよせようと近づいた。

 

「ジャネット、僕は君が去ってから、自分の気持に気づいたんだ」

 

トニー、今なんて。

 

「もし君がこの町に戻ってきてくれたら、と何度も思っていた」

 

その言葉をもっと早く聴きたかった。

 

もう遅いとはいえない。

 

でもいまさらともいえない。

 

私は・・・

 

ジャネットは無意識に、後ずさりをしていた。

 

「そうやってまた逃げるのか、ジャネット」

 

トニーの声に、はっとする。

 

「君が戻ってきたのは、僕に会うためじゃないのか?」

 

ジャネットはトニーを見た。

 

「トニー、私はあなたのことを・・・」

 

トニーはジャネットに近づくと、人差し指を唇に押し当てる。

そして、ジャネットをそっと抱きしめた。

 

ジャネットは思わず目を閉じた。

 

ああ、そうなのだ。

 

私はこれを求めていたのだ。

 

トニーからの

「あの時はすまなかった」というような

謝罪でもなく、

「会いたかった」というような甘い言葉でもなく。

 

ただ、ただ気持を通じ合えるだけで、

 

それだけで、よかったのだ。

 

私がこの町に戻ってきたのが、

過去に澄んでいた家を見る。

 

という見え透いた口実だとしても、

 

この町に戻ってこれたのが、うれしかった。

 

そして、トニーにこうして会えたことも。

 

違う。私は会いに行ったのだ。

 

自分からトニーに。

 

こうしてトニーにもう一度会い、

そして自分の気持を確かめられたこと。

 

それが私が求めていた答えだったのだから。

 

朝日とともに咲き始めたブルーボネットの花が、

やわらかい芳香を風にのせて、愛を確かめ合う二人をそっと包み込んだ。

 

(おわり)