やらずの雨

 

ある夏のころ。祖父が亡くなった。

祖父が持っていた倉を、近いうちに取り壊すという。

わたしが祖父の倉に来たときは、

すでに倉に数人業者が入っていて、ほとんどのものは売り出されてしまっていた。

もう残っているものはないはずなのだが、母はどうしても倉の中を見ておきたかったらしい。

わたしも連れられて、掃除の手伝いをすることにした。

 

倉の中に入ると、ツンとかび臭いような古い紙のにおいが鼻をつく。

換気が悪い倉は、ほこりで喉を痛めそうである。

マスクをしていることを確かめると、わたしは中に歩み進んだ。

生前わたしがこの倉を見たときは、一度きり。

そのときは、祖父が生前大切にしてきたものがビッシリとつまっていた。

今はもう、ほとんどなにものこっていない。

残っているとしたら、ゴミやらホコリやら紙切れなどといった残骸。

とでも呼ぶものだろうか。

 

豆電球が天井からつるされているだけの薄暗い倉の中を、

懐中電灯片手、に母と二人で歩いていく。

母が足をとめて、ふと上の棚を見上げた。

懐中電灯で棚の上の箱を照らしている。

「凛、一緒に手伝ってもらえる?」

「わかった」

わたしは母に返事をすると、母は残っている木箱をそっと降ろしはじめた。

地面に降ろすと、ふわっとホコリや砂がまきあがる。

長年掃除していなかった証拠だ。

母は、その箱をそっと開ける。わたしも一緒に覗き込んだ。

中には、絵やおもちゃといったものが入っていた。

母は目を細めてなつかしそうに眺めいている。

そんな母の横顔をそっとながめた。母もこういう表情するのだと。

 

母がすっかり思い出に浸っているので、その間、わたしは倉の中をぐるりと歩き回ることにした。

次にきたときはもうこの倉はないだろう。

しっかりと目に焼き付けておこう。

棚が木造で、びくともしない。頑丈なのがよくわかる。

きっと何年もの間、地震や天災に耐えてきたのだろう。

それでもこの倉は立っている。

霧がかかったようにあたりが、かすみかかったような気がした。

きっと豆電球の光が弱いのだろう。

 

立ち止まって倉の様子をみていたとき、後ろのほうで気配を感じた。

母が探しにきたのだろうか。

はっと振り向くと、そこには薄暗い影しかなかった。

でも目の端に、すっと何かが移動した気配を感じた。

わたしは、とっさにその気配を追いかける。

 

倉は棚が規則的にたっている。

角を曲がるとまた棚が出てくる。その棚の角を曲がり続けた。

奇妙な影を追いかけて。

 

気付いたときは、少し開けた場所に出てきた。

随分と奥にきてしまったのだろうか。

前のほうは豆電球の光が届かず、闇が続いている。

でもわたしは確かに気配を感じていた。

闇の中に何かがいることと。

そしてわたしを見つめていることを。

―どうしてほしいの。

わたしは思わず心の中でつぶやいた。

すると、豆電球が一瞬ちかっと点滅した。

わたしの視界が一瞬闇に包まれる。

わずかな瞬間であったけれど、次に光が戻ったときに、わたしは気付いた。

 

そこには幼き祖父がいた。

少年の姿をした祖父。半そでのシャツに黒い半ズボン。

帽子をかぶり、そしてこっそりとわたしの様子を伺っている。

あの闇の中から。

 

そのときわたしは悟った。

そうか、わたしは少年の祖父に出会っていたのだ。

若きころの祖父に。

そして、わたしたちは、かくれんぼをしていたのだ。

気付かないうちに。この倉で。

 

豆電球が確かにチカッと光った。

祖父が語る物語が大好きだった。

その祖父はもういない。

 

しんと静まった倉の中に、しとしとと雨が降る響きはじめた。